悩みについて

2016年7月11日

悩みに全く無縁な人などきっと存在しないだろう。
なぜなら人間は他の動物と違い、遠い未来について考えるからだ。

悩むことのメリット

人間は悩みを深めること、より多く悩むことにより、気づきを得て、新しい自分を形づくることができる、成長できる。
「艱難汝を玉にす」である。
悩んだ人ほど成長したはずだ。
例えば、何の苦労もせずに温室で育った人は悩む必要性がそれほどなかっただろう。
それ故に成長する機会が苦労した人より少なくなる。
苦労した程、魅力的に見えるのは悩みを克服し、成長してきた証なのだ。

ただ一点、苦労していると悩む機会が多いが、それをそのままにして悩まなくなり
そのうち悩みが消えてしまうというのはよろしくない。

これも例えれば、低賃金労働にしか従事できないという悩みがあったとする。
これは将来もっと収入を得たいという思いから発生した悩みであろう。
この悩みには様々な解決法があるだろう。それ故、いずれを選択するか大いに悩むことになる。
どれを選択すれば良いかは多くの、それを選択すべき裏付け・考える力が必要なのだ。
よって、選択することを諦める=悩みが悩みでなくなる とそのまま低賃金労働に従事し続けることになり、成長は見られない。

また、生きている限り悩みは尽きないが成長することで同じレベルの悩みで悩むことは少なくなるだろう、
なぜなら、ここでいう悩みのレベルというのは同時に解決策を考えつくレベルということと同義だから、既に考える力・解決力が付いているからだ。

なぜ悩むのか

悩みは未来をよりよくしたいから悩むのだ、よりよく生きたいと思うから悩むのだ。
言い換えると、悩むとは生きるための行為、向上したいという思いから発生するのだ。
「いま・ここ」だけに生きるのなら悩まないだろう。「いま・ここ」に無いものを考えるから悩む。
これは皆さんに納得して頂けるのではないだろうか。

また、悩みは選択肢があるからであり、そしてどちらも選択したいという思いが強いから悩む。
選択肢がなければ、そうするしかないので悩むことはないだろう。
まだ選択肢があるだけ良いということだ。
逆に言うと自分で選択肢を生み出せるとなお良いのではないかと私は思う、向上する機会を自ら生み出せることになるのだから。

悩んでいるときは「展望」が欲しい、「希望」とも言える。
宗教はまさにそれを授けてくれる。故にあまり悩みを深くせずに悩みが悩みでなくなってしまう。
どうしても選択できない状況であれば別だが、宗教に頼らずに、なるべく自分で悩みは解決することにしたいものだ。